くらしと営業、守りぬく

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 はない   まさゆき

生い立ち



■本と音楽が好き、ませた幼少時代
 

子どもの頃はとにかく身体が弱く、母には大変苦労をかけました。人並みに運動が出来るようになったのは高校生になってから。それまでは、家で本を読むことと音楽を楽しむ時間が多かったです。幼少の頃から母の仕事の関係で報道関係の人達などの話を聞くことが多く、年齢に似合わず世の中の事に興味があり、ませた子どもでした。



▲生後、お庭でひなたぼこ(左)。とても身体が弱く、小学校まではヒョロヒョロ。強風で飛ばされ田んぼに落っこちたことも。右は6歳年下の弟と。忙しい両親に代わり弟の中学入学式には私が出席しました。



■自転車が大好き――日本一周に挑戦


ランニングなどの運動は苦手ですが、自転車は大好き。高校時代、東日本一周に挑戦しましたが、岩手県宮古以北の道が台風で通行止め、やむなく日本海側に行き新潟を経由して帰ってきました。今でも通常の交通手段は自転車。片道50キロ圏内ぐらいは自転車で移動します。

時間があるときは、妻と一緒にサイクリングに出かけます。上野の科学博物館、川越、行田の火祭りへも自転車で行きました。




▲中学校音楽部。ギター片手に、フルートも演奏しました(上)。20歳代でコントラバスを始める。戸田交響楽団で(下)





▲グラインダーで研磨作業に集中。職人の技です。




■父親の研磨工場を継いで


高校卒業と同時に父親の仕事の後を継いで、金属の研磨工場で真っ黒になって働いてきました。20歳の頃から平和と中小業者のくらしと営業を守る運動に関わるようになりました。仕事に活動に忙しいながらも、趣味の音楽は大切にしていて、そこで、妻・伸子と出会いました。


【花井伸子の感想】 

当時、音大の学生で政治のことなどあまり考えたこともなかった私は、夫から物事を決めつけない自由な考え方、そして、未来社会への展望についてなど、どれも初めて聞く話ばかりで、「世の中は自分達で作っていくもの」と自覚。私の日本共産党との初めての出会いとなりました。



■結婚、そして家族――「我が家には民主主義がある」が誇り

結婚後は私の両親と弟との同居生活。妻はすっかり家族にとけこんで、来る人ごとに私は「養子さんですか?」と聞かれました。14年前に母を、6年前に父を我が家で看取りました。
4人の子どもたちに恵まれ、今では孫も 6人となり、「ひげじい」と呼ばれています。妻はよく、「我が家には民主主義がある」と言います。これは我が家の“誇り”かもしれません。

  


▲髭を剃った「ひげじい」かな?肩にかけているのは「たすき」ではなく、いつもしょっている「肩掛けバッグ」だそうです。

▲孫のみっちゃんが応援メッセージを書いてくれました。







■人生の中で面白かったエピソード
 


ピョンヤンで開かれた平和友好祭に参加した際、サンディニスタ統一戦線の代表から「経済担当大臣としてニカラグアに来ないか」と誘われましたが、「私はスペイン語ができないので」と断りました。(笑)


ピョンヤンで開かれた「世界青年学生平和友好祭」に全国商工団体連合会・青年部協議会議長として参加(左)。
右は埼玉商工団体連合会定期総会で青年部協議会議長としてあいさつする髭の花井正幸さん。



■トレードマークのヒゲを剃って


人生でヒゲを剃ったのは3回目。「ウソとごまかし、人の命をそまつにする、今の政治を何とかしたい」という思いから、私で役に立てるならと県議選に立候補を決意し、ヒゲを剃りました。今まで「あー、あのヒゲの人」と言われてきましたが、会う人ごとに「だれ?」と驚かれています。

 


▲コントラバス演奏に自転車と、趣味は多彩。
荒川土手でサイクリングする花井正幸さん(右)。


▲民商事務所で電話相談に応じる花井正幸さん。






みなさんとしっかりと手をつなぎ、

みなさんの声を埼玉県政に届け、

そして、一部の人だけの政治ではなく、

生活に根ざした「みんなのためのみんなの政治」を

実現したいと思います。

同じ思いをお持ちのみなさん、

どうぞよろしくお願いいたします。





▲左から、つちやえみこ、花井伸子、花井正幸(本人)、本田哲、むとう葉子の4人の党戸田市議団と。



<現在の主な略歴>

●原水爆禁止戸田協議会会長
●全国商工団体連合会理事
●埼玉県商工団体連合会副会長
●戸田民主商工会会長
●戸田平和委員会会長
●憲法改悪反対戸田共同センター代表
●消費税廃止戸田連絡会代表
●戸田市中小企業振興会議委員


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